書類に追われて、年越し(2009年12月30日)

 まだ、議員会館にいます。臨時国会が終わってからも、小沢幹事長に随行しての訪中や、埼玉10区内の全3市7町の首長・執行部の方々との「説明・意見交換会」(民主党政権における自治体と政府の関係について、正味20時間)を設定、さらには幹事長部局の一員として予算編成への陳情・要望伝達の一端に関わるなど、政権党の議員らしい多忙な毎日でした。25日の閣議決定後、選挙区へ戻って29日昼すぎまで地元にいましたから、議員会館の自室には書類が山のように積まれたままで、大袈裟にいえば当選以来の事務整理が終わらずにいます。

 私たち議員は、時候の挨拶状や葉書が禁じられていますので、「年賀状書き」の作業はないのですが、ようやく昨日の午後から年越しの準備を始めました。明日までかかって書類や運び込んだ荷物などを片づけて、新しい気持ちで新年を迎えようと思います。正月は、元旦から3日まで予定がビッシリと入っており、4日は多少の余裕がありそうですが、5日から事務所も本格始動します。それでは皆様、よいお年をお迎え下さい。

族議員排除――静かな革命が始まる(2009年10月24日)

10月9日から、「各省政策会議」が始まっています。民主党は自民党政治の悪弊だった族政治をやめさせるため、族議員の温床になりかねない政調の部会を設けないことにしました。野党時代の民主党には「次の内閣」と、その下に部門会議がありましたが、今や政権党になったのですから、政府と党の政策決定を一元化するのです。

鳩山由紀夫内閣では、大臣・副大臣・政務官の合計67人が政府の一員となっています。いずれ100人に増員しますが、残りの350人余りの民主党議員たちは、どのように政策決定に参加するのかというとまどいがありました。そこで、小沢一郎幹事長は各省庁の中に政策会議を設置することを決め、各議員はその一員として関わることになりました。

私は、自分のフランチャイズである国土交通省や理事を務める文部科学省だけでなく、経済産業、外務、農林水産、厚生労働、防衛、環境、等々、多くの政策会議に出席し、民主党政権の新しい政策決定の仕組みに参画してみました。その結果の感想を申せば、この後、半年、一年は試行錯誤が続くでしょうが、概ねこの方法が新しい政策決定システムとして機能するのではないかとの見通しをもちます。

政策会議は、各省の副大臣が主宰します。大臣・副大臣・政務官を「政務三役」といいますが、大臣にかわって副大臣が各省の方針を説明し、それに対する議員たちの意見や質問にも、すべて副大臣が答えます。私は自民党政権時代の大臣・副大臣・政務官たちも知っていますが、比較する気にもならないくらいです。民主党の「政務三役」は、すべてを自分の言葉で語ります。議員たちの専門的な、あるいは個別的な質問にも、官僚の助けを借りないで答えます。もちろん、事前に説明を受けているのは当然ですが、多岐にわたる政策の一つ一つに精通している様には、身内の私でさえ敬服し、感動を覚えるほどです。

自民党は、長いこと政権の座に居続けたために、このように優秀な人材を供給するシステムを失ってしまったのでしょう。だからこそ、移りゆく民意を的確に捉えることに失敗したのです。今後も、民主党内で各議員が切磋琢磨していくことを怠らなければ、民主党は「静かな革命」を達成できるということを確信しました。

歴史が変わる日(2009年9月16日)

第172回特別国会の召集日。午前10時から「当選証書の対照」があり、議員バッジを貰います。これが「初登院」というセレモニーで、新聞・テレビが話題の議員たちに殺到するシーンが今回も繰り広げられました。同じ頃、自民党の麻生内閣が総辞職し、首相官邸から去っていきました。テレビで、日の丸の小旗を振って「麻生さん、ありがとう!」と声をかけている人たちの集団を見ました。麻生氏は車から降りて笑顔で応じていたのですが……、小旗が用意されていたことといい、そこにカメラが待っていたことといい、「動員」によるヤラセであることは明らかです。その演出に対してニコニコするのは構いませんが、「オレには人気がある」と思い込んだとしたら、間違いのもとになるのは明らかです。麻生氏って、そして最近の自民党って、要するにこういう勘違いで民意を読み誤っていたということでしょう。

12時半から代議士会、1時から本会議。野党時代は国会議事堂の2階裏側の第4控室で代議士会が開かれていましたが、今回からは表側の第14控室。マスコミでも再三とり上げられたように、与野党逆転にともなう「城明け渡し」の象徴がこの14控室なのです。椅子は300席以上あると聞いていましたが、まさにスシ詰め状態。それでも、誰も文句を言う人はいません。

開会の定刻を前に本会議場に移動しましたが、議長席の正面後段に、私の議席があり、懐かしい名札が立っていました。漆塗りで、1回1回削って書き直すと聞いていましたが、近くの議員たちとも話し合った結果、これは落選前のものと同じではないかという印象を持っています。私たちの議席の前方には初当選議員たちの議席があり、それらの人たちの名札とは明らかに字体が違っているからです。つまり書き手が異なるはずで、私の名札は前回在職中の字体と変わっていませんでした。

本会議の所要時間は約2時間。議長選挙(民主党の横路孝弘代議士)、副議長選挙(自民党の衛藤征士郎代議士)と続き、最後の堂々めぐりが首班指名選挙。よく「死に票」といいますが、今まで民主党は書いても書いても死屍累々の結果をもたらしていましたが、今度こそ、「鳩山由紀夫」と書いた票が生きるのです。480の定数どおりの票が投じられ、鳩山由紀夫327、若林正俊(自)119、山口那津男(公)21、志位和夫(共)9、平沼赳夫4で、鳩山代表の指名が決まりました。

後世、「誰?」といわれるだろう人もいますが、鳩山代表の327には意味があります。いわゆる3分の2条項を満たしているからですし、渡辺喜美氏らの「みんなの党」がその内に含まれること、公明党が1991年以来18年ぶりに自党の委員長に投票したことも、ゆくゆく大きな影響力をもつ可能性があります。

いずれにしても鳩山由紀夫内閣が誕生しました。午後7時、皇居で首相任命式と閣僚の認証式がおこなわれ、鳩山首相と新大臣たちに日本の国家経営が委ねられました。日本の歴史が変わります。今日から、新しい政治が始まるのです。(その頃、私は埼玉県の国会議員団の会合に出ていました)

あす、政権交代。(2009年9月15日)

2時から新人・元職議員のガイダンス、5時から両院議員総会がありました。鳩山由紀夫代表は、演壇に立ち、あす16日、午後1時からの本会議で内閣首班(総理大臣)に指名される日程を受けて、並々ならぬ決意のほどを衆議院議員312名(統一会派を組む4名を含む)、参議院議員118名、計420名の前で披瀝しました(本人を除くと419名)。

総選挙後、上京禁止令が出ていたため、この会場で初めて会う旧知の前職・元職も多く、また新人議員の大半は見知らぬ顔でしたが、比例単独候補の中には、数回前の総選挙をともに戦い、落選を続けて公認基準に合致せずに断念した仲間などもいて、今さらながら「308議席」の破壊力を思い知りました。以下、前回から昨日までの要点を摘記。

9月8日(火)

朝一番に熊谷に行き、上尾、大宮、北浦和、浦和、指扇、鶴瀬、新狭山と、10区外にある支援組織を一巡。地元優先指令が出ていたので、県内のこういう挨拶も1週間後になってしまいました。

実は、最近、時間と力を傾注していることがあります。10月25日に執行される鶴ヶ島の市長選挙と、同日の市議補選への候補者擁立工作です。この稿は、9月15日にまとめて誌しているので書けるのですが、16日朝刊での発表まで極秘に進行する必要がありました。経緯・争点等は別稿に譲りますが、7月21日の解散以前からほぼ固まっていた人選の最後の詰めを、9月に入ってから精力的におこなう必要がありました。市長選に擁立する近藤茂氏も、補選の田口幸央(ゆきお)氏も、事前に名前が洩れれば影響力のある人たちですから、慎重に、慎重に事を運んでいたのです。

9月11日(金)

横浜にある亡父・亡母の墓参り。亡父のお墓は永らく静岡県小山町の冨士霊園にありましたが、亡母の埋葬を機に、兄にゆかりの深い横浜市青葉区の霊園に改葬しました。「期せずして」と言わねばなりませんが、この日は4年前の落選の日。母の亡くなった前後のことは8月14日の欄に誌した通りですので、感慨ふかく、香煙の立ちのぼるのを見ていました。

9月13日(日)

8時30分から総支部の常任幹事会。通常は隔週1回のペースで開いている地方議員総参加の会議ですが、解散後は選対会議の形にして各地の後援会長さんとの合同会議にしていました。したがって常任幹事会としては久し振りの開催でした。議題は、鶴ヶ島市長選と同市議補選の候補者擁立の件や、今後の行事などで盛りだくさん。予定を大幅にオーバーして11時すぎまでかかりました。

午後から、東京/浜松町の四季劇場で『南十字星』の初日。この作品は私が現職の時代に台本執筆に関わったミュージカルで(2004年9月初演)、登場人物の発する一言、一句にも、深い、深い、思いが込められています。その思いを、舞台を観ながら確認しつつ、自分で書いた台詞に涙していました(9月27日まで上演していますので、是非、ご覧ください)。

終演後、舞台裏手の楽屋で主演の阿久津陽一郎さんや、秋夢子さんらを激励。劇団四季では私は「作家の湯川裕光」なのですが、最近の若い人たち、新しい俳優たちを別にすれば、もちろん「衆議院議員松崎哲久」であることも分かっていて、「おめでとうございます」の嵐。その後、浅利慶太代表の部屋でビールで乾杯。鳩山幸(みゆき)夫人やご子息の紀一郎さんのこと、四季の今後の上演作品や、亡くなった三木たかしさん(『南十字星』や『異国の丘』を含め、多くの四季ミュージカルを作曲)の思い出など話題は尽きず、私が数年ぶりに舞台芸術の世界に戻ったひとときでした。

9月14日(月)

午前中、東京/浜松町のある会社へ行って、会長に祝電を頂いたご挨拶。経団連の中では民主党に理解がある方で、党大会で祝辞を述べていただいたこともあります。もう一社、やはり浜松町の会社の相談役にも祝電を頂いたので、御礼に伺ったのですが、劇団四季も含めて浜松町つながりで効率的に予定を組もうとした思惑は見事に外れ、結局、3回、3日間が別々の日になってしまいました。

午後、地元で市長選・市議補選の根回し。1時半から川越の記者クラブで会見。その後は東京に取って返し、浜松町の自由劇場で『鹿鳴館』の初日。私の妻はこの作品が大好きで、三島由紀夫の絢爛たる言葉、言葉、言葉の芸術に、何度観ても感心しています。私は、村松暎子さんや佐久間良子さんなどが主演した(四季以外の)舞台も多く観てきましたが、この作品は野村玲子(りょうこ)さんのために作られたのではとの錯覚をもつほどに思えます。もちろん三島さんは玲子さんを知る由もないし、村松さんや佐久間さんがお気に入りだったのも知っていますが。

四季の『鹿鳴館』は装置もいいし、衣裳も抜群。そういえば隣の席は、衣裳担当の森英恵さんでした。

SSCを拡大強化(2009年9月7日)

民主党政権の誕生は、どうやら9月16日ということに固まったようです。小沢幹事長、菅副総理兼国家戦略担当大臣、岡田外務大臣などの重要閣僚が内定したとの報道もありますが、われら返り咲き組はそれも新聞で読む程度。議員会館も議員宿舎も何も決まらず、来週の初登院までに準備が整うかどうか。他方で日程はどんどん入ってくるので、引越しなどは特別国会が終わってからになりそうです。

午後1時からはSSCの月初定例会。SSCとは今回の選挙戦の成功の原動力となった強力ボランティア集団で、シニア・サポーターズ・クラブの略。現役をリタイアした方たちが、知恵と経験と情熱を私のためにいかんなく発揮していただいたことに、感謝は言葉で尽くせないほどでした。その首唱者だった佐藤尚武10区後援会長が、冒頭、「目的を達したので発展的解散」を提案したので、甲論乙駁の議論百出。皆さん、一騎当千のつわものですし、自由闊達に物言う雰囲気がSSCのよいところだと私は思っていますが、最終的に、会長の真意が「発展的に」というところにあることが分かって了承。

SSCが一応の目的を達したのは事実ですが、当選=国政復帰を果たした今だからこそ、SSCの皆さんが代表する市民・町民の意志を、私を媒介して国政に汲み上げる役割を果たす意義(トピックス第69回「趣意書」参照)は高まるばかりです。ただ、SSCという強力なるがゆえに限定されたメンバーでなく、今後は地域の後援会や党員・サポーターにも加わっていただく形で、もっと広く、もっと深く、組織が再編できたらいいと私も思います。

そこで、佐藤会長の「発展的解散」を受け容れる形で「拡大強化」を図り、後援会主催の「月曜クラブ」を開催することにしました。原則として隔週1回、東松山と坂戸で交互に開きます。また、平日ですと集まりにくい方たちのために、土曜または日曜日の会も設けます。月曜クラブを Monday Supporters Club = MSC 、日曜の会を Sunday Supporters Club = SSC と略称するようになるかどうかは、今後の課題です。

ともかく第1回の月曜クラブは9月28日(月)、東松山ですが場所未定。第2回は10月26日(月)、坂戸ですが、場所未定。いずれも午後1時からということで、詳細は「トピックス」欄に近日中に掲載します。また、8月2日に開催予定で総選挙のために延期していた「対話&バーベキュー」集会を10月初旬に計画中で、これも近日中に「トピックス」欄でご案内させていただく予定です。

怒濤の1週間(2009年9月5日)

8月30日の投票、そして開票の後は、怒濤の1週間でした。党本部からは上京を禁じる通達があり、しばらく地元活動を継続するよう指示されています。国会活動、すなわち「政権交代。」の実を極める活動に着手する前夜の状況から、9月の「雑感」を始めたいと思います。

8月30日(日)

当日、午前中に投票を済ませ、午後、事務所へ立ち寄って整理やゴミ片付けの手伝いをした後、いったん帰宅。7時のニュースなどで投票率の上昇を確認した上で、7時半に再度、事務所に向かいました。支援者の皆さんには8時集合とお声かけしていましたが、すでに沢山の方々がお見えでした。

最近、8時の開票終了と同時に当確が出るケースもありますが、私の場合はそんなことはないだろうと思いつつ皆さんと一緒にテレビを囲みました。ところが8時2分にTBSとテレビ埼玉が当確を打ったのでビックリ(後で、テレビ朝日もその頃だと聞きました)。支援者の皆さんも全員集合していなかったので、とりあえず、NHKを待つことにしましたが、どんどん人は増えるしで、結局、9時25分に万歳を三唱しました。

万歳三唱の際、候補者本人も一緒に万歳するケースと、本人は御礼の意味で頭を下げるケースがあります。私は事前に皆さんにお話をしました。「小選挙区当選の結果は、長期間にわたるプロジェクトを共に戦い抜いた、皆さんとの共同作業の成果として実現したもの。だから皆さんと一緒に、私も万歳をしたいと思います」と。

その後も千客万来。深夜になって、さすがに集う人が少なくなっても私たちは待ち続けました。開票立会人として各市・各町に2人ずつ、議員や後援会幹部を派遣しているからです。例年の通り比例の開票よりも小選挙区の開票は早く終わりましたが、最高裁判所裁判官の国民審査があって、すべてが終わったのは午前2時頃。最も時間がかかった立会人が戻ってくるのを待って、もう1回、万歳三唱。その頃までには比例区北関東ブロックの結果も確定していましたので、この日は2時半で事務所を後にしました。

8月31日(月)

開票の翌日は、早朝から駅に立つのが民主党の文化です。私も、前回までは当落にかかわらず駅に立って御礼の挨拶をしてきました(ちなみに、投票前日は深夜12時まで立つのが文化で、今年も北坂戸駅に立ちました)。ところが、今年はどうしたものかと、開票が進むにつれて迷うようになりました。自民党の前職が比例の復活当選ラインにも及ばなかったことを知って、その迷いを断ち切り、「立たない」ことを決めました。

私の選挙区は保守的といわれます。自民党が盤石の地盤をもっていると、相手方の支援者だけでなく、首長も行政も、新聞記者も、当方の支持者すら思っているのです。私は、そんなことはないと思いましたし、この選挙の結果が、それを証明しています。一見、盤石と思われる保守地盤であっても、地殻変動が起こってしまうくらいの失政を自民党がしてきたから、この結果が出たのです。

しかし、保守的と思われている風土には、その前提で流れる情緒があります。私が当選の翌朝に駅立ちをしないことを決めたのは、この情緒を理解するところから、次の選挙を始めなければならないと思うからです。

私は55.1%の得票率(相対)で小選挙区で勝利を収めましたが、絶対得票率(得票数を全有権者を分母として割ったもの)を考えると37.6%です。しかも、自民前職にも28.9%が入っているのです。私が当選翌朝に駅に立てば、「おめでとう」「よかったね」と言ってくださる方が多い反面、3割近くの方は「意外な結果」を快く思われていないに違いありません。それらの方々は、私の立ち姿を「勝ち誇っている」と受けとめてしまうでしょう。また、そういう風土なのですから、そのことが「埼玉10区のただ一人の代表」としての立ち位置に、プラスに作用するとは思えないのです。(相対得票率とは有効投票数に対するもの)

というわけで、今週1週間、私は駅立ちを中止しました。もっとも、今後も駅に立たないわけでなく、来週から、「日常の駅立ち」を再開します。選挙前のこの欄にも書きましたが、もともと駅立ちとは日常の活動として継続してこそ意味があると思っています。選挙の間際になってから、騒々しく多人数で駅に立つのは「駅立ち」の本来の姿ではありません。私は私の流儀で、日常の活動を続けてまいります。

9月1日(火)

午後1時半に、県庁で「当選証書」の交付式がありました。私は代理受領しましたが、証書が到着するのを待って、東松山事務所で看板掲示式をおこないました。(トピックス第80回参照)

4年前に心ならずも撤去せざるを得なかった「衆議院議員 松崎哲久事務所」の看板には特別の思い入れがありました。分厚い木製の板に、墨字でくっきりと書かれた看板は2004年の3月に開設した東松山事務所に掲げていたもので、当時の小沢一郎副代表を迎えて事務所開きのセレモニーもおこないました。翌年9月の郵政選挙で議席を失いましたが、それを今、再び掲示できたのです。この字を書いて下さったSさんも駆けつけて、一緒に喜んでくださいました。

9月2日(水)〜4日(金)

地元の挨拶回り、事務所の片付け、今後の活動体制の検討などに時間を費やす。その中で、2日の4時からは行田邦子参議院議員の久保田秘書、家西悟参議院議員の叶秘書と引き継ぎをしました。お二人には長期間にわたり常駐で、東松山事務所と坂戸事務所の実務を応援して貰ったのです。日常活動のスタッフに、選挙の本番中に獅子奮迅の活躍をして貰うための必要不可欠の後方支援でした。感謝。

9月5日(土)

午前中、選挙会計の収支報告書の準備が進んでいるので、目を通す。公職選挙法は実際に選挙をやったことがない人が法律を作っているので、実務に則さない不都合な規定が多いのです。(公選法に議員立法が多いのは事実ですが、実態は自治省・総務省の官僚が関わっています)

それでも規定どおりにキチンと処理しないと、指弾されてしまうミスを犯すかも知れません。細心の注意を払って作業をチェックしているのですが、14日以内に報告というのは忙しすぎます。

「山上作戦」と「定時演説」(2009年8月17日)

 明日、総選挙が公示になります。公示後はホームページの更新が規制されていますから、今回が最後になります。再開できるのは8月31日。その時には「政権交代。」の歴史的瞬間が訪れたのかどうか、結論が出ていることになります。

    *    *    *

 選挙の準備は、万端、整いました。午前中には、選挙カーの看板、事務所表示の大看板の取り付けも終わりました。もちろん、明日の届出が済むまでは、白い幕で覆われていて、その中身を窺うことは出来ません。

 選対会議で、初日および冒頭数日の予定確認などもおこないました。今回、私の選挙運動の特徴は、定時街頭演説をおこなうことと、自転車街宣を積極的に取り入れたことです。街頭演説を何ヵ所でおこなっても、たまたまその場で聞いて下さる方以外には、なかなか政策を生の声でお届けすることが出来ません。そこで、夕方の定時(6時半から8時)に、駅前広場で必ず街頭演説をおこなうことにしました。あとは場所だけ分かれば、そこで必ず私が演説をしているという具合です。

 ただし、どこで(どの駅で)実施するかを告知する方法が難しいのです。たとえば、このホームページに掲載することは、事前運動とみなされる可能性があって出来ません。これまで膨大に配布した『プレス民主』の号外にも、書くことは出来ませんでした。同様の理由からです。しかし、事務所に「今日は、どこ?」と尋ねていただけば、選挙区内の14駅のうち、何駅の何口かをお伝えすることは可能です。また、公示後数日以降については、「選挙公報」や「法定選挙ビラ」にも記載してありますので、ご確認いただけます。

 公職選挙法の、あまりに杓子定規の規定は自由な選挙運動を阻害し、それは有権者の自由な意思決定を妨げることにもなります。皆さまも「ホームページに載せられたらいいのに」というご感想をもたれると思います。日本の政治を良くしていくために、是非、選挙の実態から知っていただけたらと思います。

日刊スポーツ松崎哲久自転車街宣記事

 自転車街宣を積極的に取り入れることに関連して、私は第一声を「ある町の山の上の神社」でおこなうことにしました。小沢一郎前代表は川上作戦と称して、「川上を制する者が選挙を制する」という教訓を常々、指導しています。私は今回、川上作戦を実践してきましたが、川の上には山があります。私は選挙区内の山の筋はすべて歩きましたが、その選挙の仕上げの戦いをするにあたっては、やはり山の上で始めたいと思いました。「山上作戦」です。

 初日は山の上で第一声を挙げ、そして自転車で下り、川に沿って町へ出ます。そして、第2日以降も、自転車で全町・全市を回ります。しかし、この第一声を、どの町のどの神社でおこなうのかを今、公表することも出来ません。定時演説についてと同じ理由からです。

 写真は、8月初旬に実施した自転車作戦を取材した『日刊スポーツ』が、本日付の紙面に掲載した記事と写真です。記事は字が小さくて読みにくいと思いますが、画像をクリックすると拡大表示されますので、読みやすくなるはずです。

 それでは皆さま、8月31日にまた、この欄でお会いしましょう。

 


終戦と呼ぶのは不戦の決意(2009年8月15日)

懸案だったホームページのリニューアルが完了。昨日(14日)の午後9時には、新しいトップページ、新しい構成のこの欄にご案内できるようになりました。専門的には少しトラブルもあったようですが、その日のうちにほぼ解決。選挙前のこの時期に難題に取り組んでいただいた吉本俊宏氏とそのスタッフの方々、私の事務所のスタッフにも感謝。

さて、今日は終戦記念日。この日を「敗戦と呼ばずに終戦と呼ぶのは、見つめたくない過去を曖昧にしたがる日本人の悪い習性」などと批判する人もいますが、私はそうは思いません。「終戦」というのは、われわれが不戦を決意し、「戦争はもう終わり」ということを宣言する意味での終戦だからです。

と、敬虔な気持ちで今日を迎えましたが、午後からは選挙戦の現場に立ち戻って挨拶回りを続けました。午前中は街宣計画を練ったり、アンケートの回答などに時間を使いましたが、取りあえず自宅で過ごしました。実は解散予告から47日という長丁場の過酷な日程なので、公示直前の15日は陣営全体で休業することに決めていました。疲労がたまると事故の怖れもありますし、判断ミスも避けなければなりません。そのため事務局の中核的なスタッフに休養を取らせ、リフレッシュして本番に備えようと考えたからです。

私が動けば、何人かのスタッフが出勤せざるを得なくなります。じっとしているのが一番だったのですが、やはり動くことになりました。半日の休みの後、これから29日の最終日まで2週間、まっしぐらに進みます。

4年前の夏の出来事…選挙でなく(2009年8月14日)

今日がどういう日かというと、亡くなった母親の誕生日でした。大正14年(1925)生まれですから、生きていれば84歳ということになります。没年、命日は2005年12月ですから享年80。最近の女性の寿命では、まだ早い死といえるでしょう。

2005年は、前回総選挙の年です。まだ解散(8月9日)前の7月末に、名古屋であった旧知の方の出版お祝いの席に、母一人では心もとないので付き添って一緒に参加したのが、「歩ける母」と会った最後でした。ふだんは三重県の四日市市に住んでいて、総選挙が始まるので埼玉に出てこようとしていた矢先に自宅で倒れて、救急車で入院。腰を打って、後で分かったことですと股関節を骨折していました。どうにも痛くて、四日市の友人たちには訴えていたというのですが、総選挙の公示を控えていた私には「大丈夫だから」と言うのみでした。

1週間くらい入院していても、なお痛みがとれないというので、結局、私の地元の病院に連れてくることにしました。といっても、もう選挙は始まっていましたので私自身はどうにもならず、甥と事務所スタッフが車で迎えに行きました。

まる一日かけて病院に着いた母を見ると、思った以上の症状で、その後の院長の診断で骨折と分かり、転院して手術が必要とのこと。「どこへ?」「この辺りは埼玉医大だけど…」と口ごもる院長。もちろん、今、戦っている相手の関係先だから私が承知するはずがないと思ってのこと。結局、東京/新宿の国際医療センター病院で手術をして貰うことにし、転院は投票翌日と決まりました。

前回総選挙の結果は、落選。議席を失って最初の仕事が母親の介護になりました。亡くなるまでの経緯はここで語ることではありませんが、手術は成功したもののリハビリ中に再び転倒して、以後は容体が悪化。11月21日に国際医療センターから地元の病院に戻りました。執刀した主治医の先生も地元の院長も何も言いませんが、それは最期を迎えるための措置であることは暗黙の了解でした。そして1ヵ月後に息を引き取りました。

私にとって悔いが残るのは、母の骨折、入院、手術が、解散・公示・落選、さらには10月23日におこなわれた鶴ヶ島市議の補欠選挙と重なったため、十分な心配りが出来なかったことです。これについては19歳のときに亡くなった父への看病についてと同様、生涯、心にかかる雲となるでしょう。

しかし、反面、十分な達成感もありました。9月12日の東京転院から70日に及ぶ期間、ほぼ毎日、往復4時間かけて母の病室に通いました。病室にいても何も出来ないのですが、また、補選の準備や選挙の指揮もしなくてはなりませんから長い時間はいられないのですが、それでも母と濃密な時間を過ごすことが出来たからです。

車椅子を押して近くの戸山公園を一周したり、リハビリ中の再転倒後は一日一日、症状が悪化していく様子に為すすべもなく立ち尽くしていたり。また、みずからを内省する機会でもありました。何十年も続くであろう介護の現実と向きあい、政治活動と折り合いがつけられるどうかと思うことも(人には決して言いませんでしたが)、一再ならずのことでした。

    *    *    *

ちょうど4年前の夏には、こんなことがあったのです。事実上の任期満了となった今回の総選挙は、私個人にとっては「亡母の弔い合戦」でもあるのです。また、母親が遺してくれた、否、みずからの命と引きかえに与えてくれた、「政治を続ける選択」に結果を出さねばならない戦いでもあります。もちろん個人的動機で公人としての活動が左右されるはずもありませんが、私が「この議席」に寄せる思いの一端としては、ご理解もいただけるのではないでしょうか。

14日の午後9時頃にリニューアル(2009年8月13日)

 ホームページのリニューアルの準備が完了しました。明後日(15日――正確には14日午後9時頃)から、新しいホームページに移行します。それに伴い、アドレスも新しいものに変わります。

http://matsuzakit.jp/

 ただし、従来の http://minshu.org/mzt/ あるいは http://www.mzt.iplus.to/ からも自動的に転送しますので、当分は旧アドレスのままでも新しいHPをご覧いただけます。

「現場」は公示前最後の追い込み(2009年8月12日)

あすからお盆に入るので、今週は休暇をとっている人も多いようです。10日(月)は森林公園駅、11日(火)は若葉駅、けさは東松山駅で、6時か ら8時の早朝駅立ちを実施しましたが、朝の通勤客の皆さんの数も、ふだんの2割減くらいだったでしょうか。しかし、配付資料(『プレス民主』埼玉10区 版)を手にとっていただく数は逆に3割増しでした。

通常、駅立ちは「野党の」活動手段といっていい埼玉10区ですが、選挙が近づいてきて、この1週間は自民党はじめ各党が競合する状況。有権者の方々には「うるさい」という感覚もあるでしょうから、果たして公示日以降はどうしたものかと思案中です。

前回2005年の総選挙後、地方選挙応援の重点期間を除いて励行してきた駅立ちも、今週の3駅をもって終了しました。2008年、2009年だけでも約200回に及びますが、「はるばると来つるものかな」という思いで、さすがに感慨ひとしおです。

午後は東松山市内で自転車街宣。自転車隊に加えてマラソン伴走者として稲原都三男氏が加わりました。稲原氏はボッシュを定年退職した2007年の秋に、 「60歳1人箱根駅伝」を完走して、読売新聞の全国版に大きく報じられました。10区間を1人で、10週間かけて、同じ距離、同じ経路を走りきるという企 画でした。私の秘書が総監督を務めて全区間をアシストし、私も10区で(なぜ10区かはお分かりですよね)応援し、ゴールの読売新聞社前で出迎えました。 その稲原氏が、私の東松山後援会長にご就任いただいたことで、自転車隊のマラソン伴走となりました。

暑さ・寒さ・悪天候に負けずに実施してきた各種の広報宣伝活動も、今日で終了です(公示後は晴れて選挙運動になります)。まだ公示日まで数日あるのに終了したのは、お盆の期間、各家のご先祖様の霊に対する敬意として静穏を保つべきと考えるからです。

駅立ちと広報宣伝活動が終了したといっても、休んでのんびりしている訳ではありません。立候補にともなう手続き――膨大な資料を作成し、印刷し、県の選挙 管理委員会に事前審査を受けること、新聞社その他の団体からのアンケートに回答すること、推薦していただく団体との政策協定に調印すること、等々、選挙の 直前には時間のかかる業務が山のようにあります。

また、後援会役員やボランティアの皆さんは、ポスターの貼り替え作業に 大わらわです。18日の公示日を期に、更にポスター規制が強化されますので、その対応が必要だからです。世の中はお盆休みですが、「政権交代。」の歴史的 瞬間に向けて、現場は最後の準備活動に余念がありません。

選挙はもう終盤戦?(2009年8月8日)

午後、東松山のある地区で訪問活動をしました。住宅密集地ではないので、みっちり4時間やって、140軒ほどだったでしょうか。歩いて歩いて、水分補給のペットボトルが1本では足りなくなりました。

夕方、有力支援者の会合で冒頭挨拶。「18日の公示前なのに、もう終盤戦という感じ」と話しました。1年間も本番モードで準備をしてきたからですが、解散の数日後にあった東松山市内のお祭りへの対応で声をからしてしまい、もともと美声ではないものの、聴き取りにくい話になって申し訳なし。

さらにその後に、坂戸事務所の地元の町内会の役員会があって出席。公示後の22日、23日には「坂戸よさこい」が予定されていて、その準備に町内会役員は忙しいのです(代理に頑張ってもらいます)。実は当日、事務所の付近は交通規制がかかって、その対応にも頭が痛いところです。前回の総選挙の際もよさこいと重なりましたが、本番期間とは多少ずれていました。今回は真最中なので、街宣車の運行やスタッフ・ボランティアの集合にも支障をきたしますので、はて。

自転車作戦―去年よりはまだ暑くない(2009年8月5日)

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8月1日から選挙前の最後の街宣活動を展開しています。自前の街宣車を2台準備してありますが、昨日から県連車も4日間の予定で10区入りしているので、計3台で各市各町を走り回っています。

私自身は自転車街宣を中心としています。

 

 

 

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民主党代議士から4月に名古屋市長に当選した河村たかし氏の直伝の運動で、私は2000年の総選挙のときから実施しています。思い起こせば去年の同時期、鳩山町が熊谷市とともに最高気温37度を記録した8月7日に、その鳩山町のアップダウンに苦しみ、ほとんど熱射病になりかけたこともありました。それに比べて今年は、冷夏が心配されるほど暑さは激しくならず、ずいぶん楽に感じます。

といっても、お盆はこれから。体調には十分注意して、あと24日間を全力で活動したいと思います。

 

松崎さんてどんな人(2009年8月4日)

昨日、選対の会議で「ホームページを見ても、松崎さんの顔が見えてこない。どんな人か分からないと親しみがわかない」という指摘がありました。なるほどと思った意見は取り入れて、すぐ実行するのが最近の私の流儀ですから、さっそく私自身のプロフィールを紹介してみます。

*    *    *

東京のサラリーマン家庭に生まれ、区立の小・中学校、都立高校を経て東京大学に入学。入学式の翌日に父が病死(受験勉強中、まる1年の入院後)したため、働きながら6年かけて大学を卒業。就職活動中にアルバイト先の厚意や亡父の親友の援助があってアメリカ留学を決意。ハーバード大学の大学院で修士号を取得できました。

在米中に、文藝春秋の月刊誌『諸君!』の依頼で、連邦下院議員選挙に関する論文を寄稿。帰国後は著述を仕事にしようと考えましたが、文春の雑誌や週刊誌の連載を貰えたものの、それほど芽が出ずに悶々とした日々を送りました。

1年あまり後、自民党のシンクタンク/総合政策研究所の主任研究員となり、以後、自民党幹事長付、自民党総裁付として中曽根政権時代の権力中枢を垣間見ると同時に、中曽根首相のブレーンと言われた方々の知遇を得ました。劇団四季の浅利慶太代表との関係もこの頃から。東大の佐藤誠三郎教授とは現代政治分析を共同研究して日本の政治学に期を画し、論壇をリードする評論を多く発表。学習院大の香山健一教授にはテレビ等の仕事を紹介されて、今日につながる基礎を築きます。

細川護煕氏が旗揚げした日本新党の結党時に、私を同氏と結びつけたのが香山教授。直後に実施された参院選(1992)には比例代表選挙に立候補し、次点で惜敗。当時の仲間のほとんどが今、国会議員や自治体の長になっていますが、新党の理想は民主党にこそ引き継がれます。1996年の第1次民主党の結党にも98年の第2次民主党の結党にも参加しましたが、選挙では苦杯をなめ続け、ようやく3度目の2003年総選挙で当選。

埼玉10区を選挙区としたのは、ここが私の地元だから。何代も何百年も住んでいるわけではありませんが、1986年に今の家に越してきて以来、20年以上になります。落下傘候補とは選挙のために便宜的に籍を移すことで、私は落下傘ではありません。みずからの意志でこの地を選んで住み、みずからの意志でこの地を選挙区とし、いわゆる世襲議員たちとは違って、一歩ずつ、一回ずつ、支持を拡大してきた叩き上げの地元密着型の政治家です。

一部の週刊誌で、私が世襲候補とか二世とかに分類されているのは事実誤認です。私はすでに1991年に出版した著書(『日本型デモクラシーの逆説』)で、二世議員とは「選挙地盤を親族から継承して出馬し、当選した職業政治家」と定義しています。これは東大の北岡伸一教授からも妥当と評価され、その結果、学説上はこの定義が定着しています。もちろん、埼玉10区を誰からも継承していません。

家族は妻と、一男二女の子供たち(皆、地元の学校に通いました)ですが、すでに成人して独立しています。

三木武夫元首相は義理の伯父です。亡母の姉が今も元気な三木睦子で、私が政治家になった原点は、常に国民とともに在り、「クリーン」を貫いた三木政治にあるといえます。

著作には議席の世襲を批判した『日本型デモクラシーの逆説』や『名歌で読む日本の歴史』など多数がある他、湯川裕光の筆名で『瑤泉院』『安土幻想』『明朝滅亡』などの歴史小説や、劇団四季のミュージカル台本『異国の丘』『南十字星』『マンマ・ミーア!』を手がけています。

駅立ちは政治の基本(2009年8月3日)

けさは4時半に起き、6時から8時まで、東上線の嵐山駅で駅立ちをおこないました。明日は小川町駅の予定です。その後、北坂戸駅、鶴ヶ島駅、明覚駅と続き、来週、8月12日で選挙前の「駅立ち」を終了します。

早朝の駅頭で、私か民主党のスタッフ・ボランティアから「手渡し」で『プレス民主』埼玉10区版を配布させて頂く活動を、私たちは「駅立ち」と呼んでいますが、市民・町民の皆さまと国政を結ぶ、重要な手段・手法と位置づけています。

政党や個人によっては「駅立ち」を重視しない場合もありますし、駅に立っても、ご挨拶だけで機関紙等の配布をしないやり方も見かけます。しかし私は号外版に綴られた私自身の政策や主張を、出来るだけ多くの方々にお読みいただきたいと考え、毎回、真剣に配布活動をおこなっています(私は配布をスタッフ任せにせず、駅立ちの際には必ず駅のどこかの階段の下にいます)。

選挙の時だけ、多人数で駅に立って気勢を張る行為を、私は好みません。駅立ちは日常活動こそ重要なのだと信じますから、毎週、どこかの駅に立ちます。下の一覧表は、2008年と09年の実施状況を駅ごとに記載してみました。もちろん、私自身が立った記録です。

お配りした後、活動終了前に券売機の周辺やホームなど、ゴミの始末を必ず励行しています。ただし駅員さんに伺うと、電車の網棚に放置されているケースがあるそうです。そこまでチェックは出来ませんので、皆さまも読了後の美化にはご協力をお願い申し上げます。

私の『プレス民主』配布活動は「駅立ち」に限りません。郵送、ポスティング(各戸配布)、新聞折込など様々な方法で実施していますが、時間や費用の制約がありますので、継続的・反復的におこなう意味で、「駅立ち」の重要性は不変です。

 

駅立ち実施状況

駅名 実施日(濃緑が09年)
東武竹沢 08/1/15, 3/25, 7/15, 10/28, 09/1/9, 5/25, 7/24
小川町 08/1/29, 2/21, 3/28, 5/1, 5/27, 7/3, 8/19, 10/7, 10/17, 11/25, 12/24, 09/1/19, 4/9, 5/14, 6/8, 7/15, 8/4
明覚 08/3/7, 7/17, 11/5, 09/1/28, 5/28, 8/7
嵐山 08/1/22, 2/14, 3/18, 4/25, 5/22, 6/18, 7/31, 10/3, 10/15, 11/20, 12/16, 09/1/15, 4/7, 5/12, 6/5, 6/22, 7/14, 8/3
つきのわ 08/1/10, 3/19, 7/16, 10/31, 09/4/20, 6/19
森林公園 08/1/31, 2/22, 3/27, 5/2, 6/2, 7/1, 7/25, 8/27, 9/30, 10/16, 10/22, 12/9, 09/2/2, 3/27, 4/23, 5/26, 6/26, 7/22, 8/10
東松山 08/1/31, 2/22, 3/27, 5/2, 6/2, 7/1, 7/25, 8/27, 9/30, 10/16, 10/22, 12/9, 09/2/2, 3/27, 4/23, 5/26, 6/26, 7/22, 8/10
高坂 08/2/8, 3/11, 4/30, 6/9, 7/9, 8/11, 9/29, 10/27, 12/4, 12/26, 09/1/20, 4/14, 5/19, 6/16, 7/9, 7/29
北坂戸  08/1/18, 2/12, 4/1, 4/8, 4/11, 5/21, 6/20, 7/23, 9/19, 10/9, 12/22, 09/1/16, 3/19, 4/17, 6/1, 6/24, 7/16, 8/5
坂戸 08/1/24, 2/1, 2/19, 4/3, 4/7, 4/9, 5/9, 5/15, 6/10, 6/24, 7/8, 7/29, 8/7, 9/24, 10/20, 11/14, 12/18, 09/1/13, 3/26, 5/18, 6/12, 7/10, 7/30
一本松 08/1/8, 2/26, 7/28, 10/20, 09/4/21, 7/23
若葉 08/2/7, 3/12, 5/7, 6/5, 6/27, 8/6, 9/18, 10/14, 11/18, 09/1/5, 3/24, 4/10, 5/15, 6/9, 7/3, 7/28, 8/11
鶴ヶ島 08/1/25, 2/28, 4/22, 5/23, 6/25, 8/1, 9/26, 10/10, 11/7, 12/11, 09/1/8, 4/6, 5/11, 6/3, 6/30, 7/21, 8/6

 

「政権交代。」の「。」の意味(2009年8月2日)

島田ちやこ参議院議員の応援があるというので、滑川町の森林モールのベイシア店前と、嵐山町のヤオコー嵐山バイパス店前で街頭演説会を催しました。あいにく雨が強く降り、熱心な聴衆の方々には申し訳なく思いましたが、濡れる額を何度もをぬぐいながら、演説をしました。

その内容をつぶさに書きとめる余裕はありませんが、一つ記しておきたいことがあります。それは今年の夏の合言葉となった、「政権交代。」についてです。去年の秋、解散間近ということで民主党は幟りやポスターに「政権交代 準備完了」という標語を使いました。しかし空振りに終わり、麻生内閣が一年続くことになりました。ところが、満を持した解散のはずが、自民党政権の歴史の終わりを迎えようとしているのですから皮肉です。

私たちは、この選挙には「政権交代 準備完了」の標語は使いません。「政権交代。」に変えました。なぜなら、準備が完了した決意を示す段階から、政権交代を現実として受けとめるべき認識を強めることへ進化しなければならないからです。

「政権交代。」の「。」は、終止符です。準備が完了するのでなく、政権交代という作業そのものが完了するのです。

皆さんも、ぜひ「政権交代」と終止符なしでは記さずに、「政権交代。」と、正しく書いていただきたいと思います。

ホームページを近日中にリニューアル(2009年8月1日)

7月21日の解散を受け、総選挙の準備が着々と進んでいます。といっても、私たちにとって「事実上の選挙戦」は今に始まったことでなく、去年(08年)の夏には本番モードになっていましたので、大きく欠けているものはありません。駅立ち、ポスティング、訪問活動、街頭宣伝など、為すべきことを粛々と為すだけです。

それでも、実際に選挙の日程が決まらないと準備できないものもあります。最大のものは「何を争点として戦うか」です。争点が決まって初めて、前面に打ち出す政策やキャッチフレーズが決められるからです。夏か秋か冬か春かで、スタッフやボランティアが、シャツを着るのかジャンパーなのかも変わります。ともあれ、盛夏の8月18日(火)に公示、30日(日)投開票という「真夏の総選挙」になることが決定しましたので、解散直後から今日まで、確立した方針のもとに既定の準備項目を点検しながら進め、あらかた終わりました。

まず、今年の夏のキーワードは「政権交代。」です。この言葉の浸透度は老若男女を問わずにすさまじく、したがって、ポスターや法定選挙はがきなど、すべての器材に「政権交代。」を打ち出すようデザインも変更しました。朱色で「政権交代。」と大きく掲げた幟りやステッカー、マグネットシールなども用意して、活動・運動の中心に位置づけるよう考えています。

次に、このホームページをリニューアルすることにしました。数日中に実施いたしますので、改めてご案内しますが、本欄の「近日雑感&政策アピール」は従前の形に戻して「近日雑感」と「政策アピール」に分けて、「近日雑感」は極力、毎日更新することにします。ただし、公示日から投票日まで(8月18日〜30日)の13日間は法の規制により更新が出来ませんので、ご了承ください。

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